上手く言えないあれこれ

を綴ってます。いつも間にか34歳独身。ゆるく楽しく丁寧に。

身に付けるものを整えることから。

人は暇だと色々考えるもので、最近の私は

 

きちんとした人になりたい。

 

と何ともざっくりとしたことをよく思う。

 

人は外見より中身だ。とよく言われる。けれど、私は中身と外見は強く結びついているものだと思う。

 

最近は時間があれば、とにかくネットの記事を色々と読んでいて、色んな方のエッセイもよく読む。この方素敵だなと思うと下に写真が載っていることが多く、そういう方は決まって「きちんと」している。何というか、外見にもうすでに自分がある。自分を知っていて、きちんと自分のものを身に付けているのだろう。

 

もう何年も前だけど、私はアパレルショップで販売の仕事をしていたことがある。ショッピングセンター内にある大型店だった。じっくり接客をするというよりも、量を売る店舗だったので、毎日毎日たくさんのお客様と接していた。色々な方が色々な服を試着する中で、ある日気づいたことがある。

 

結局のところ、何を着るかより、誰が着るか、だと。服を売る店員がそんなことを言ってしまってはどうしようもないと我ながら思うが、ふと実感してしまったのだ。といっても別に顔が綺麗とかスタイルがいいとかそういうことではなくて。素敵な人というのは見えない部分で、でもはっきりと分かるくらい何かが違っていて、そういう人が着れば何でも本当に素敵なのだ。

 

そんな経験からも、性格だったり生活習慣だったりという内面と外見は繋がっているものだと強く思う。

 

という私はというと…。今日は合同説明会に出かけた。スーツじゃなくていいとのことだったので、むしろ困るなと思いながらも朝バタバタとクローゼットからそれっぽいものを取り出して組み合わせ、うちを出た。何となくそれなりに見えるつもり。

 

でも、パンプスは踵がすり減っているし、コートは学生の時(もう10年近く前)に就活用に買ったものでシンプルなの形だと言ってもやっぱり今の私にはどこか馴染まないし、よく見ると所々毛玉まである。これではだめだ、と電車の中で反省した。

 

面倒くさがり。雑。大雑把。今の私の外見にはこんな性格が恥ずかしくなるほどはっきり出てしまっている。

 

身に付ける物だけを変えたところで誤魔化しが効かないのは分かっているけれど、身に付ける物を変えることで意識が変わることはあると思う。

 

そんなことを考えながら今日は帰りに普段は素通りするデパートに寄り、コートを新調した。このコートに着られないように「きちんとした」自分を作っていこうと思う。